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鹿児島の碑シリーズなど、『おいじゃっど』さんが「45分の徒歩通勤から見えた事・感じた事・何気ない風景・気になった風景」とは!!

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琉球船の目印松

鹿児島の祇園之洲から海岸沿いに磯へ抜ける道路を走っていると
海側に松の木が見えます。灯籠の左右生えている松はなんだろうと
近づいてみると案内板に「琉球松」と書いてありました。
薩摩の国は島津斉彬の頃から琉球との交流を盛んにしていたようで
琉球の船が入るときの目印にしていたようです。

琉球船の目汁松 


                琉球船の目印松
           ~磯浜の名物、享年142歳~
磯浜には昔、石灯籠に抱きつくように見事な枝を張った大松がありました。
琉球からの船が入港するとき、目印にした松というところから「琉球人松」
と呼ばれていました。

松の上の丘は桜の名所で、海上から桜を眺める遊覧船も多かったと
いいます。
ところが終戦後、松クイ虫の被害にあい、この名物松を惜しむ人たちが
手を尽くして駆除に努めましたが、その甲斐なく枯れてしまったのです。

そこで、1953年(昭和28年)10月2日、当時の市長 勝目清の
ノコ入れで切り倒され、翌年、数本の姫松が植えられました。
その中の一本が現在、石灯籠の左手に根付いています。

切り倒さた琉球人松の年輪を数えると142あったそうです。
また1973年(昭和48年)5月15日、沖縄復帰1周年を記念して、
那覇市からリュウキュウマツの寄贈を受け、石灯籠の右手に
植えられています。

琉球船の目印松
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水車館機織り場の碑・・・・・・・鹿児島の碑

田上3丁目JR鹿児島本線沿いをジョギングしていたときに公園の中に古そうな碑を
見つけました。
ジョギングの足を止めて公園に入って近づいてみると島津斉彬が作った機織り場の
碑のようです。

美尾崎公園の中にあります。
美尾崎公園
案内板には詳しくかかれておりますが島津斉彬もたびたび水車館を訪れていたと
いいますから、来年から始まるNHK大河ドラマ「西郷どん」の主人公
西郷隆盛もきっとこの地を訪れていたのでしょう。
この公園の近くにある田上小学校には西郷さん直筆の書があるそうです。
水車織機織り場跡の碑 
案内板の文字もかすれて読みづらくなっております。
かすれた字をなんとか読んでみると結構リアルに記録が残されております。
以下その全文
「もともと水車館機織場は、現在の田上消防分遣隊の場所にありましたが区画整理に
 より、その史跡石碑はこの地に移設されました。
 第28代島津斉彬は、大阪から買い入れていた高価な帆布を藩内で自給するため
 長崎から外国製の紡績機械を購入し、田上村と、永吉村に水車を利用した紡績
 工場を作りました。
 田上水車館は、安政4年(1857年)の頃から生産を始め、慶応3年(1867年)
 磯に洋式の紡績工場ができるまでの約10年間仕事を続けました。ここで織った
 製品は、大阪から買い入れていたものより約3割安くついたといいます。
  田上水車館は、木造平屋の板張りの建物が二棟あって、一棟が原料置き場、
 他の一棟が布を織る作業場でした。動力としては田上川の水を引き、作業場の
 外側の直径数メートルの水車で四台の機械を動かしていました。職工は、慶応元年
 (1865年)の頃は約40人で、ほとんど男子でした。水車館の仕事は大変能率が
 上がり、藩内に織糸がなくなるほどであったといわれ、中村・郡元・田上の農家では
 綿花の栽培や糸紡ぎの作業でたいへん忙しく、藩主斉彬も、たびたびこの地に立ち寄り
 職工を激励しました。
説明ボード 

向田邦子の居住跡地・・・・・鹿児島の碑

4月のとある日曜日、鹿児島市の中央公園で開かれた音楽フェスを見に行った帰り
昔住んだことのある城山町をぶらぶら歩いて帰る途中で見つけました。
見つけましたというよりも以前住んでいるときに見てはいましたがこうやって
久しぶりに訪れて写真に収めてきました。
鹿児島市平之町16-18 
あの「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」などのドラマにシナリオや作家として
有名な向田邦子さんが鹿児島にいるときに住んでいたところです。
お父さんの仕事の関係で鹿児島には小学生のころここに住んでいたそうです。
向田邦子 居住跡地2 
1981年(昭和56年)8月22日取材旅行中の台湾で飛行機事故のため亡くなっています
向田邦子 居住跡地 
碑文はこのように書いてあります。
向田邦子 居住跡地3

鹿児島大学の桜と碑・・・・・・鹿児島の碑

 4月14日 快晴の朝のなか徒歩通勤。 今日は若干早く家を出て時間に余裕があった
ので寄り道して鹿児島大学の中を歩いてきました。
農学部の畑と校舎の間に結構きれいで立派な桜があります。
4月14日 鹿児島大学の桜 
その桜の真下にこのような碑がひっそりと建てられております。
4月14日 桜の下の碑 
左下の碑文の拡大です。
お人柄も学術研究においても立派な方だったんですね~。
4月14日 桜の下の碑文

いばんやま???? 

鹿児島市小松原2丁目にある「ラサール学園」の北側にいつもの通り鹿児島市内をジョギング
していたら公園を発見。でも公園の真ん中がこんもりと盛り上がっており小さい山があり木も
結構茂っております。

いばんやま2

なんだろうと思い近づくと案内板があり、島津家の砲術訓練場跡ということがわかりました。
いばんやま1 

いばんやま3 

射場山跡(いばんやまあと)
弘化3年(1846年)8月28日、谷山の中塩屋(現在の小松原1丁目)のこの地において、
御流儀洋式砲術の、大がかりな演習が行われました。総指揮指南成田正右衛門。
島津家28代当主斉彬も立会い、炎天下の下砂浜で砲車の移動など、実践さながらの
ようだったと、斉彬文書に記録されています。射場山、その名の通り対応や射場があった
場所で、安政5年(1858年)には、中塩屋に煙硝蔵(火薬庫)も建設され、西洋人や他藩の
伝習生が出入りする藩の重要な区域だったようです。この煙硝蔵は、西南の役のとき
政府軍の手によって焼き払われました。

ちなみにしたの写真は山の頂部分。登頂成功!制覇しました!!
いばんやま頂上 


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