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水車館機織り場の碑・・・・・・・鹿児島の碑など、『おいじゃっど』さんが「45分の徒歩通勤から見えた事・感じた事・何気ない風景・気になった風景」とは!!

水車館機織り場の碑・・・・・・・鹿児島の碑

田上3丁目JR鹿児島本線沿いをジョギングしていたときに公園の中に古そうな碑を
見つけました。
ジョギングの足を止めて公園に入って近づいてみると島津斉彬が作った機織り場の
碑のようです。

美尾崎公園の中にあります。
美尾崎公園
案内板には詳しくかかれておりますが島津斉彬もたびたび水車館を訪れていたと
いいますから、来年から始まるNHK大河ドラマ「西郷どん」の主人公
西郷隆盛もきっとこの地を訪れていたのでしょう。
この公園の近くにある田上小学校には西郷さん直筆の書があるそうです。
水車織機織り場跡の碑 
案内板の文字もかすれて読みづらくなっております。
かすれた字をなんとか読んでみると結構リアルに記録が残されております。
以下その全文
「もともと水車館機織場は、現在の田上消防分遣隊の場所にありましたが区画整理に
 より、その史跡石碑はこの地に移設されました。
 第28代島津斉彬は、大阪から買い入れていた高価な帆布を藩内で自給するため
 長崎から外国製の紡績機械を購入し、田上村と、永吉村に水車を利用した紡績
 工場を作りました。
 田上水車館は、安政4年(1857年)の頃から生産を始め、慶応3年(1867年)
 磯に洋式の紡績工場ができるまでの約10年間仕事を続けました。ここで織った
 製品は、大阪から買い入れていたものより約3割安くついたといいます。
  田上水車館は、木造平屋の板張りの建物が二棟あって、一棟が原料置き場、
 他の一棟が布を織る作業場でした。動力としては田上川の水を引き、作業場の
 外側の直径数メートルの水車で四台の機械を動かしていました。職工は、慶応元年
 (1865年)の頃は約40人で、ほとんど男子でした。水車館の仕事は大変能率が
 上がり、藩内に織糸がなくなるほどであったといわれ、中村・郡元・田上の農家では
 綿花の栽培や糸紡ぎの作業でたいへん忙しく、藩主斉彬も、たびたびこの地に立ち寄り
 職工を激励しました。
説明ボード 

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